ぷりぷり怒られた。

2019.1.28日々のこと

怒られた、妻に。
ブログを読んだ妻が「片付けない人として思われるじゃない」と、ぷりぷり怒ってきた。
ということで、ぼくは謝るのに加えて、妻のご機嫌取りをすることに。
心中どれだけキレているかは本人以外知る由もないが、ぷりぷり怒っているところが流石だ。
たぶん、ぼくであれば怒髪天だっただろう。
 
そんなわけで、ぼくは生まれて初めて「お詫びブログ」というのを書いている。
妻は汚し下手ではないです。
むしろ、普段は綺麗好きです。
言えば、ちゃんと直してくれます。
寝起きが弱いぼくの代わりに、朝ごはんの支度までしてくれています。
ここまで書いていて、ふと気づいた。
もしもこの先、妻を登場させるのを許可制になったら、どうなるだろうかと。
たぶん、登場しなくなるだろう。
「〇〇しなければならない」ことでない以上、許可を取る手間は、思いのほか負担になる。
 
車の運転免許もある意味で、運転して良いという許可だ。
この許可が欲しい人は、運転しなければならないから、わざわざ試験会場に行き、試験を受ける。
試験に合格したいから、講習も受ける。
全部、お金を払って。
ぼくが車の運転をしないのに、免許の更新に行くのも、「使い勝手のいい身分証明書をなくしてはならない」や「もう一度試験を受けたくない(講習に通いたくない)」という意思がはたらくからだ。
もしも、これらの理由がなくなったら、ぼくは更新に行かないだろう。
 
話を戻すと、妻の登場が許可制になったら、妻とのネタが必要不可欠な鉄板ネタにならない以上、登場しなくなるわけだが、世の中のほとんどのことって、こういうことだよなぁ、とも思う。
 
仕事における上役への許可。
ほんとうに必要なものって、案外少ないものだ。
 
少年時代、たばこやお酒も、嘘でも本当でもいいから「親から買い物を頼まれた」と店の人に言えば、普通に買えた。
当時、親父からたばこのお使いを頼まれたとき、ちょっとわくわくしていたような気もする。
大人のアイテムであったたばこを、知り合いのタバコ屋に買いに行く。
店の人も、ぼくが何をしに来たのかわかっているので、品を出し、お金を受け取る。
こういうことは日常にあった。
大人の役に立つ経験は、ちょっとした冒険でもあった。
たばこの販売が、年齢による許可制になった現代では、ほとんど見られなくなった光景かもしれない。
 
少年時代における、大人の世界というのは、いまでは考えられないような未知の世界だった。
だから、必要以上に大変そうに思ったり、魅力的に映ったり、都合のいいように思い巡らせていた。
その橋渡しが、「お使い」にあった。
 
親子関係が近くなったいまでは必要のないことかもしれないが、「未知」であることは、わくわくすることでもあるんだよなぁ。
(この記事は、妻の許可をいただきました)

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