詰めない。

2019.1.27おすすめ, 心の健康, 日々のこと

よかった、と思った。
数日前から読んでいた『雪と珊瑚と』を読み終えて、まずはそう思った。
 
いくつもの親子という関係性がこの中にはあるが、ぼくがひたすら感じていたのは、「甘える」という関係性だ。
小説の中で「そこまで依存できない」という言葉が出てきたが、甘えるには、甘える相手に対して、身を預けるような覚悟が必要になる。
「お願い」や「依頼」には、ダメ元で、というのが入り込む余地があるが、「甘える」が成し得ないと、大きな拒絶のように見えてしまうものだ。
 
子どもが親に甘えることができないと、怒り、泣いたりするのは、それがダメ元ではないからだ。
そして、行為としては「お願い」であっても、そのお願いの中には「甘える」要素が含まれている。
だから、どんなときでも主人公の女の子は甘えてきたじゃないか、と受け取られる側面もあった。
本人の意思とは関係なしに「悲劇のヒロイン」を勝ち取ってきたようにも見えてしまうひっかかりを、敵意として指摘する人物がいたことにも、ぼくは救われた。
 
ただ、余裕がなかった人生を歩んできたのは確かだろう。
そういう人が、どこかのタイミングで、張り詰めない人間関係を頼って生きていく術を手に入れるのは悪いことではない。
どこかで人は、頼られると嬉しいものだ。
けれど、頼る方も頼られる方も、このあり方を把握していないと、緊張して、張り詰めて、不信感を抱き、相手を怒らせる。
 
そして、どうしても、ウマが合わない人はいる。
そういう人からは、何をしていても目障りに見えてしまうものだ。
どちらかが善人で、どちらかが悪人、ということもないだろう。
 
張り詰める、ということを考えていて、自分のことを省みていた。
力強さは欲しいけれど、張り詰めるっていうのとは違うよな。
思い詰める、根を詰めるもそうだけれど、詰めても仕様が無いことだってあるもんだ。

コメントを書く