仕事も結婚もおなじ。

2019.1.4心の健康, 日々のこと

昨年は「不平等」や「不公平」であることを、よく考える年だったと思います。
夫婦の家事を分担表にするケースがあるみたいですが、これも平等や公平性を求めた結果でしょう。
分担表を作りたくなる気持ちも分からなくもないけれど、そもそもが違うんじゃないか、とも思うんです。
 
人間はそもそも、不平等で、不公平の下に生まれているって思うんですよねー。
自分の気持ちいいが、相手の気持ちいいである保証なんてどこにもないわけです。
そんな保証があるのなら、失恋や言い合いなんて起きないでしょう。
たとえば、A子さんとB男さんが付き合えば、C男さんはA子さんと付き合えないわけだ。
なかには全員と付き合う人もいるかもしれないけれど、それでも相手から「他の相手と別れてほしい」と言われる可能性がなくなったわけではない。
つまり、平等だとか公平だとかというのは、条件付きでなければ成立しない。
 
仕事だってそうだ。
ぼくが誰かの依頼を受けたら、同業者は依頼を受けられないし、ぼくの手が空いていなければ他の人の依頼を受けることもできない。
それを「不公平だ!」と言うことはできない。
そういうものだ。
違う同業者への依頼に、最近ではセカンドオピニオンが広まってきているが、もしもそれをしたら、ファーストオピニオンだった相手との信任関係はなくなる。
これを野暮というんだ。
 
数ヶ月前まで、朝起きて、ダイニングテーブルの上にゴミが散乱していてイラついていたが、「相手の汚した箇所を、俺が掃除する」ことを不公平だと思っていたことが原因だ。
相手がどうとか思うと不公平になる。
「汚れている箇所を見て、俺が嫌だと思う。だから、俺が掃除をする」
一人暮らしをしていたときのように、こう思うようにしたら、イラつきはなくなりました。
 
いま、仕事で人の役に立っていられるのも、「力のない自分が嫌だと思う。だから、俺は訓練をする」をやってきたからです。
これは正月中も変わりません。
 
結局は、仕事も結婚も人間の行いなんだ。
いままでと変わらないってことです。

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