話す行為。

2018.12.18日々のこと

すべては「話す行為」なんじゃないか、と思いました。
唐突ですが、ふと思ったのです。
悪い人じゃない、むしろいい人なのに、なんか一緒にいたくない。
ま、そういう人がいるとして。
プライベートであれば、「クセのある人だから」と言って、話題にしそうだけれど、仕事においては、もうちょっと現実問題というか、そんな部分での話し方に要因があるような気がします。
 
先日、歯列矯正の先生から、人間の平均的な頭の骨格について教わりました。
その中で、目の位置というのは、地面と水平になるようにできていることを知りました。
この位置が水平でなくなると、その人に会っている人は不快感を覚えるらしいです。
人から怖く見られたい人が、顎を上げて上から見下ろすようなことです。
 
「話す」という行為には、いろいろな要素が組み合わさっています。
声質、言葉の選び方、呼吸(間)の取り方、相槌の取り方、話す順序、声の大きさ、滑舌の良し悪し。
音声電話やTV電話であれば、機器の調子もあるでしょう。
直接の会話なら、さっき話題にした目線、服装や表情などの見た目から、匂い、身振りなんかもあるでしょう。
メールであれば、メールの書き方が話し方になるわけですし。
あ、この文章もそうですね。
 
すべて「話す」という行為に集まって、その人の印象を決めてしまっているよなぁ、と思ったのです。
世の中には、根っからの悪い奴というか、人を陥れることに喜びを見出す人もいる。
けれど、そんなに悪い奴じゃなく、いい人なのに、会いたくないなぁと思ってしまう人って、「話す行為」を改善したら、会いたい人になるんじゃないだろうか。
 
この文章を読んでいる人の、ぼくの印象もあるわけだ。

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