「続けること」と「初心者になること」。

2018.12.17ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

今年から茶道を習っています。
習っていると言っても、まったくの初心者で、ひとりでお茶を点てることもできないです。
楽をさせていただいても、毎回、足は絶望的なほど痛くなります。
 
でもね、「習う」っていうことがいいのです。
茶道の楽しさはまだ分かりませんが、習うことの楽しさを感じています。
この歳で、初心者になれるのです。
36歳にもなると、自分の仕事のことは食えるレベルになったり、人からチヤホヤされるレベルになります。
 
これは、どんな職業でも同じだと思います。
続けてきたから得られることです。
会社に居続けている人なら、その会社内で活きる能力が成長しているので、それはそれで重宝されます。
どんなことでも続けていれば、いいとこまで行けるものです。
 
でも、ほとんどの人が「自分の努力」や「工夫」に焦点を当てて、「単に続けたこと」を軽く見るんですよね。
だから、多くの人が得意気になってしまうのです。
ぼくにもそういう気質はあります。
そして、たったひとつのチヤホヤされることで、それ以外のいっぱいある分野のことも精通したような気になっちゃうんです。
そんなことはないですからねー。
 
ぼくはクリエイティブ業界にずっといますが、それ以外の業界については、まったくのずぶのど素人ですから。
いま茶道のことを語っても、嘘になっちゃうでしょう。
でもね、初心者として習っていくと、不思議と、自分の業界と似ているところと、似ていないところも見えてくるのです。
 
これは、ぼくが何かを続けてこなければ、得られない感覚だと思います。
さらに、実際の現場に飛び込んで、初心者にならなければ、得られない感覚です。
続けてきたことと、初心者になること、この二つが交わって、はじめて生まれる感覚なんです。
プロだからって、自分の業界で初心者になれないことはないですからね。
この感覚、好きなんだよなー。

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