写真サークルのアパート。

2018.7.25日々のこと

連日の暑さにまいっているヒトも多いかと思いますが、こうも暑いと「大学時代の部室」を思い出します。
当時、ぼくは写真サークルに入っていました。
高校までいっさい写真に興味がなかったにも関わらず、入学式の翌日、サークル勧誘の看板で出会った女子大生の先輩についていって、そのまま入部。
(俗に言う一目惚れで、間抜けがほいほいついていったわけだ)
 
ま、それがきっかけで、卒業後に、ぼくは写真家になったわけだが、今日はこの話ではなくて、部室の暑さについて話したいんだ。
 
当時、ぼくらの通っていた大学では同好会以上のサークルのみ、学内に部室をあてがわれていた。
そして、ぼくらの写真サークルは愛好会だったのだ。
大学から部室をあてがわれていたのは、もうひとつの写真サークルであり、卒業アルバムを制作していた。
どちらかというと、実直に仕事を達成していくタイプで、学内からの信頼も厚かったように思われる。
(ぼくの勝手な妄想も入っている)
 
愛好会だったぼくらのサークルは、初代部長たちが大学の近くにアパートを借りて、そこを部室としていた。
初代から数えて3代目となっていた当時、大学生たちの溜まり場と化していた1DKの和室はすでにボロかった。
毎月の家賃は発生するから、ぼくのように、女子の先輩にほいほいついていく、いたいけな新入生が必要だったのだ。
(今となって考えれば、けっこうな悪徳商法、もとい、考え抜かれたマーケティング戦略だ)
畳はささくれを通り越して、侵入者の衣服にまとわりついた。
もちろん風呂なしだし、便所も和式だ。
 
元々がボロかったのだろう、それに加えて、ダイニングキッチンを暗室にしていたため、酢酸の鼻をつく臭気と閉め切った熱気は、今から考えると単なる拷問部屋だったかもしれない。
それでもぼくらは時間を見つけてはアパート部室を訪れ、夜通し酒を飲みながら、現像やら写真を焼いたり(フィルムから写真にすることを「焼く」という)と、連日暗室作業を繰り返していた。
 
酒によって(酔って)脱水傾向になりながら、暗がりの中に、暗室の赤い光。
暑い。臭い。暑い。臭い。
焼肉を食べたヒトは自分のニンニク臭さがわからないが、それと同じだろう、次第に臭さはわからなくなり、暑さと戦うことが、若き日の写真バカを育てていた。
(現に、当時の学友たちは、ぼくの発する臭いを、写真サークルの名前をとって「サボイ臭」と言っていた)
そんな戦いに酔いしれていた節もあるから、単なるバカだったのだ。
 
このバカさ加減によって、若き日のぼくは、その後の道を走ることができたのかもしれない。
最近の連日の暑さの中、仕事のために外を歩いていると戦う気分になるのは、当時の影響もあるだろう。
もしも今、少しでも、仕事で依頼人の役に立てているのなら、当時の暑さと臭さの賜物と言いたい。

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