差異が利益をだすだけ。

2018.7.22ビジネスの健康, 日々のこと

昨日、「現に最近のクリエイティブってどれも似ていますよね」ということを書きました。
すばやいビジネス手法の弊害のひとつに挙げたつもりです。
 
しかし、改めて考えてみると、資本主義において致命的な弱点であることに気がつきました。
資本主義で利益を出すためには「差異」が必須です。
価値の差異を利益にする商業資本主義でも、コストの差異を利益にする産業資本主義でも同じです。
古代文明から変わらない資本主義の本質といえます。
(経済学者では「ノアの洪水以前から」と言うんですね)
 
つまり、「似ている」ということは「差異化」ができていないということです。
「差異化→売れる→模倣される→差異化→…」を繰り返すのが資本主義ですが、最近のクリエイティブが似通っているということは、イミテーション(模倣)でしかないということ。
すばやい手法が、クリエイティブ的手法とはほど遠いやり方だと感じていましたが、出てくるものが差異化できないのなら、資本主義的には利益になりません。
 
デザインやブランディングの気運が高まっているのも、現代経済の差異の作り方に適しているからです。
それだけの理由です。
大量生産・大量消費の産業資本主義では利益が出せず、多くの業界が価値の差異を示さなきゃならない商業資本主義に転換せざるを得なくなった。
(海外ファストファッションの撤退が目立ちはじめてきましたね)
 
価値の差異のはじまりは「表層の見た目」です。
これがほとんどのヒトが認識している「デザイン」に当たります。
この「表層のデザイン」で差異を作り出し、利益を出してきたけれども、模倣が当たり前になったら、今度は事業価値そのものにアプローチする「ブランディング」によって差異を作り出すようになりました。
 
それにも関わらず、「似ている」現象に陥るのなら、やり方に問題があるか、ブランディングで差異を作り出す時代は終焉を迎えているということです。
社会に安価で粗悪なモノやサービスが溢れているのは変わらないので、ブランディングによる差異化が終わっているとは考えづらいです。
そうであれば、やり方が、クリエイティブの差異化を作り出す方法になっていないということです。
 
すばやさで一日を回せば、自ずと、ぎちぎちな一日になります。
すばやさのやり方を推進すれば、ぎちぎちな毎日になります。
クリエイティブと呼ばれるものを発展させてきたのは、暇人です。
ヒトにもビジネスにも、余白が必要なんです。
 
散歩に出かけるもよし、喫茶店の冷房で惚けているのもよし、美術館や映画館に行くもよし、キャンプに出かけて焚き火を見るのもよし、もっと簡単に、職場のヒトと他愛のない雑談をしてかき氷を食べるのもよし。
 
余白の作り方はたーくさんあります。
これが、本当のクリエイターだと思うんですよねー。
 

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