笑顔と透明感

2009.2.4日々のこと

昨日は、下絵を描き、お昼に恵方巻を丸かぶりした。今年の恵方は東北東だそうで、そちらを向きながらモシャモシャ、モシャモシャ、モシャモシャ・・・・・・?願い事って何だ?東北東にはパネルの作品があり、彼らを見ながらモシャモシャ、いつまでたっても口から恵方巻を外すことが出来ないでいた。願い事を考えていると、幸せって何だ?という方向に疑問が変わっていき、あぁじゃあ「幸せになりたい」で願い事はいいかと決める。そして、無事に食べ終わる。

その後、買い出しもあったので銀座へ石川マサルさんの個展を観に行く。1つ1つの作品へのコンセプトがしっかりと構築されており、しかも透明感があった。岩清水のような、出会った時に人の中にすっと染み込んでくるような作品たちだった。ご本人が会場にいたので、少しばかりの立ち話をしたら、作品と同じように、透明感のある人だった。

会場を出た時に、買出しの物たちをどこかに忘れてきたことに気付き、狼狽していると、地下にある駐車場の守衛さんに「もしかして探し物?」と尋ねられ、忘れ物が届けられていたことを知る。無事にそれを受け取り、守衛さんたちと笑顔で別れ、新宿へ向かう道でふと思う。

「幸せって何だ?」と。

僕は作品を創ることが出来ている、それを幸せというのかもしれないし、身体を動かすことにそれほどの不自由を感じることがないことが幸せなのかもしれない。もしくは雨風を防げるところで眠ることが幸せなのかもしれない。
もしもそれで幸せ度を計るのならば、とても相対的な感覚ということになってしまうが、相対的な要素しかないならば、かなりシラケてしまう。
けれども、相対的な要素を排除することは難しいし、絶対的な要素だけであったら、僕は生涯、幸せを感じることはないのかもしれないとさえ思えてしまう。

とても純粋でとても美しい人ほどあっけなく、そして短く逝ってしまうことを知っているし、自分が望んでも無理なことも身近にある。それとともに、嬉しい=幸せ、と直結させることもどこか腑に落ちない。

とりあえず、僕がしなければならないことは、目の前の作品に集中することだと結論が下るのは、いつものことだ。

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