日本の性質

2013.8.17日々のこと

ある有名カメラマンが、先日の「グルスキー展」を雑誌内で評していたのだけれども、気持ちの良いものではなかった。評価はしているものの、「アートとしての写真」やら「より高いアートの絵画に……(だったけか)」と、広告写真と一線を設けるような言い回しだったり、頻りに「アート」の枠に押し込めようとしているものだった。
 
「広告も出来るだろ?」、「広告としても力強いだろ?」と思い、些末な怒りともつかない呆れが生まれた。
 
性質を的確に伝えるために、イメージを加工する——至極当然なことだ。だから、僕達は広告でもレタッチをするし、アートでも一発で撮ったり、その逆も難なく遂行する。なぜなら、自分が見ているイメージを信じているからだ。
 
まだ、広告とアートを分けようとする日本の流れは変わっていないのだな。あと、25年、本当に闘い続けるのか。

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