時間が、向こうからやってきているのが分かる。最近は日向ぼっこをしている時間が増えていたのだが、「余暇を楽しめ」か「何をするか」ということだったのだろう。桜もあはれと感じるようになった。悲しみが温かく広がっていく。何も持たずに、その時を向かえたいようだ。それとも、守りたい人を守ることだけになるのだろうか。はたまた、いまだ我執や欲動が生まれるのだろうか。もしくは、全部を混ぜこぜにできるのだろうか。
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泣ける理由 »
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