人間じゃない
2013.2.8日々のこと人間を人間として考えることが出来ないような社会になっている。少数においては、人間を有機的な変化があるものとして考えることが出来ている場合もあるが、総体としてみてみると人間を機械のように考えている場合の方が多くないだろうか?
Aと言われたことをAとして行う、全て説明しなければ話が進まないなど、予測や勘を働かせるというようなことに、忌避感や否定的な態度を示すことが多い社会になっている。それは、機械で作れる商品が溢れていることと、職人と合わずに製品を買えることからも立証される。
職人の方々とお会いしていると、師匠の技を盗み見て特訓を積み、自分の技にしている。それは頭を使いながら体を使って覚えていることなのだが、先述した社会では、頭の働きが全体を占めている。
仮に自分のお腹が痛くても耳鼻科には行かずに、内科に行くだろう。それだって勘を働かせているのだが、この一連の動きを無視して反対に否定してしまっているのだから、辻褄が合っていない。何度も話しているが、辻褄が合っていなければ、適切な形で物が作れるはずがない。
また、辻褄が合っていないことをしている人ほど「食っていかなきゃいけない」と、食うために仕事をしている。仕事が楽しければ、仕事をするために食うことをするのに。
日本の街や都市を訪れると、どこも頭だけで作られたようなそんな匂いがしている。そして、そんな場所や人間が多すぎるような気がしている。最近は自分も含めて突破口のことを考えている時間が多い。