恐れた結果のマーケティング

2012.12.4日々のこと

使用している音楽プレイヤーのインターフェイスが変わった。マイナーチェンジをする意味は「飽きさせない」というものが多いが、「誰と競争しているのだろう?」と疑問に思う。大抵は競合他社であったり、ユーザーの「飽きる」という性質であったりするのだが、「本当にこの機能や変化は必要か?」と訝しくなるものが多い。そして、変化後の些細な苛立ちから元の状態に戻そうとするのだが、完全に戻るはずもなく、中途半端なもので諦めることになる。
 
変化と定着を繰り返すのが世の常なのだけれども、変えなくてもいいものまで変えてしまうというのは、「競合他社に追い抜かれる」、「ユーザーが離れる」という恐れが原因ではないだろうか。恐れによって変化を急ぐよりも、その性質に合った良いものを判断する力を持つ方が、重要な気がしている。
 
恐れ——これは、何でもかんでもマーケティングに頼ることも挙げられるだろう。人は数字を出されると弱い生き物だ。「これだけの%が出ています」、「数字が実証しています」という文句を言われたら、ぐうの音も出なくなったりするのかもしれないが、全く的外れの結果を期待して調査をすることはまずない。つまり、求める答えをある程度予測し、予測した答えの範囲に収まるように始めるのがマーケティング調査である。調査の結果に作ったものが売れなかったら、また調査をするのだろうが、「本当にこの商品が素晴らしいものなのか?」という考えはどこかに置き去りにされ、「この商品を売るためにはどうしたら良いか?」という疑問にすり替えられている。
 
これが繰り返された結果が、誰も広告を見ないという現状だ。異業種の方々から「TVみないです」、「雑誌よまないです」、「Webみないです」、「広告ってなんですか?」、「写真って誰でも撮れますよね?」、これらの台詞が当り前のように耳にするようになって久しい。
 
それにも関わらず、同業たちは「多様化する手段と方法」に躍起になり、「目の前の商品やサービスは本当に良いものなのか?」という疑問から目を逸らすことを進める。それもこれも「良いものは絶対に伝わる」という自信がないからだ。目新しい手段を提供しなければ誰も飛びつかない、という恐れがあるからだ。「良いもの」というのは、食べ物であれば「おいしい」であるし、鑑賞するものであれば「美しい」や「感動する」であり、それらの感覚が各個人のものである一方、全く共感できないものであるのなら、そもそも人間の作るものなんて必要ないはずだ。どんな手段を講じていようとも、言っている内容は「これは良いものですぜ〜」なんだから。
 
やはり、恐れを克服することが、良いものかどうかに目を逸らさないということに繋がるのではないだろうか。その結果、否定的な意味ではない、自信をもった「変えない」という選択肢もあるし、「わからない程度に変える」という選択肢も生まれると、僕は自信をもって言える。

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