どうありたいか

2012.12.2日々のこと

先日、子どもの頃に「なりたい」と思っていた職業について尋ねられたのだけれども、そういえば何もなかったことを思い出した。物心がつく前に腎臓病になり、子ども時代は病院で過ごし、そこで友達になった子ども達を含め、いつでも個室に移り、その後いなくなる(もちろん、退院ではない)ということが子どもながらに染み付いていたため、大人になったときの職業に夢を馳せることがないのが、僕達にとっての自然の流れだった。
 
失礼ながら、そんなことよりも「外の世界」と「今を生きる」ということに一生懸命になることが自然であった。子どもが今を生きるために一生懸命になることは単純で、「遊び」である。名前なんて関係なく、出会った子どもは全て仲間——病室という限られた空間と道具と自身の体で出来ることなど大してなく、工夫をして発展させることが当り前となっていた。複数人としてはそんな感じの遊びだが、一人の時は絵を描き、絵本を読み、手を動かして玩具をいじる、妄想に耽るといったことで遊んでいた。
 
そうこうしている内に病気は落ち着き、大人といわれる年齢になり、人数や規模が大きくなると「作品」や「企画」、「写真家」、「デザイナー」、「アーティスト」など、遊びに様々な名前が付くようなった。そして、写真をやっていれば「どんな写真家になりたいか?」と訊かれ、デザインをやっていれば「どんなデザイナーになりたいか?」と訊かれるのだが、こんなこと考えたこともなかった。
 
やっている本人が「写真だ」と言えば写真だし、「デザインだ」と言えばデザインであり、自身の考えとそれまでの歴史を照らし合わせてみれば整合性は自ずとわかってくる。そして、「何になりたいか」ではなく「どうありたいか」の方を、いつも重視していた。関わってくれた人達が楽しみ、生まれたものを観た人達が感動してくれるのは棚ぼたのようなもので、大前提は「自分が楽しむ」ってことだと思っている。
 
年齢は変わり、逝ってしまった人達へ抱いていた悲しみや、培ってきた怒りや憎しみも「そういう感情があったな〜」という程度に忘れていく。変わらないものなどなく、僕もいつか死ぬ。ただ、今大切にしている「楽しむこと」——そればっかりはずっと持っていて、ようやく言葉にできるようになったんだな〜。
 
「なりたいもの」はいつかなくなるが、「どうありたいか」はいつも自分で決められる。

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