忘れた色とこれからの色

2012.7.15日々のこと

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督『善き人のためのソナタ』を再び観ていた。制作の方も落ち着いてきたので、「良さそうな映画ないかな〜」と思って観たのだが、冒頭からデジャブが起きた。正確には以前観ていたことを忘れただけだったのだが……。そして同じように感動したし、おそらく同じ所で胸が熱くなったのだろう、そのシーンでも胸に込み上げるものがデジャブのようにあった。
 
記憶は忘れていくものだし、そうでなければ大変なのは重々承知なのだが、良いと感じた映画までも忘れているというのはどういうことだろうか。日々、制作をし、日々、感動をし続けた結果なのだろうか。美術でも広告でもリレイションシップでも、生産しすぎていたのかもしれない。
 
展示会などの半券は取っておいてあるが、それらを見返すと「あぁ〜、こんなのも観たな」と思い出すことがある。それだけ、日々忘れているのだ。自分がこの道で生きると決めたものでさえも、忘れるということが生じている。前意識下に収めていると言えば格好がつくが、それ(理論)で、胸の内に生じた寂しさは満たすことはできないのだ。
 
それでも制作は続き、職業的にも仕事的にも僕はものを創っている。一歩ずつだが先に進んでいる。大切な人といると心が和み、もう少しだけ生きたいと欲が生まれ、作品の種が生まれ、一緒に美味しいものが食べたいと思う。感情は色を増しているはずが、中庸の気持ちだ。この先、僕はどんな未来を創っていくのだろうか。自分が一番、楽しみなのだ。

コメントを書く