黒い塊が見えているから感覚(実感)がある

2011.8.11日々のこと

「ちょっとおかしい」と疑念を抱き、筆を置いた作品。今夜見てみると、「あ、これでよかったんだ」と確信に変わり、完成という手を止める行為が同じでも、止める時の心持ちが異なる場合があることに気付いた。けれども、結局、完成ではなくて、「その先」が観えたということなのだが。
 
それは、日常のようでもあると思った。いつの頃からか、いや、初めからなのかさえ定かにならないほど前から「現実感」というのが希薄だ。駅のホームからホームへ飛べることの方が妥当性が高いような、一般的に現実では見えていないものが見えていることの方が正しいような実感があるのだ。今でも黒い、とてつもなく黒い圧倒的な暴力性を持った悪意の(気体のような)塊が左手から腕の周囲を纏っている。しかし、それに支配されるのではなく、抑え込もうとするのでもなく、寄り添って生きて行くことを選んだ頃から、希薄な現実感は、一般的に言われる「現実感」とは隔たりながら実感を持つようになった。
 
「泣くから悲しい」と言うように、気付いていないだけで、行動の方が先に気付いていたのだろう。

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