システム

2011.6.23日々のこと

 「お金は水物」だと考えている。財布の中のお金は、(誰でもわかっていると思うが)入っては出て行く。預金は不動のものと思う人がいるかもしれないが、『方丈記』の「行く河の流れは・・・」でも言われているように、全体としての河の流れは変わっていないように見えるが、その河の水は一度として同じ水が流れていない。つまり、全体としての預金額(通帳に記載されている数字)は変わらないものだと思うかもしれないが、その中身は変化している、というよりも、どのお金でも良いのだ。それ以上に、記載されている数字でお金の有る無しを理解し、日本銀行券がお金として使用出来ると理解しなければならないので、財布に入っているお金も預金額も不動の状態にしていたとしても単なる概念上のものだと言える。
 
 それは以前書いた為替相場の話でも触れているのだが、現在、作品のスケジュールと予算をまとめていて、この予算額を「はした金」と捉えるか、「大金」と捉えるかは人によって違うのだ。人が関わる以上、この書類を提出しなければならない立場にいるから書いているのだが、なんだが笑ってしまう話のように思えたのだった。こういう書類事は(職業として)作品を売ったり、クライアントワークスをしていたら頻繁に出てくるが、そういう書類を提出しなければ安心されないシステムの社会だと暗に意味していたりもする。そして日本の場合、最終的には「システムよりも人情よね」という本音を抱きつつ隠すから、齟齬やジレンマを大変な状態になるまで抱えてしまうのだ。
 
 「システムはシステム」として割り切り、気に食わなければ、既存のシステムを作り直すか、違うシステムの場所に行くか、1からシステムを創るかの3つしか選択はないのだが、このような考え方を言うと「冷たいね」と拒絶される。しかし、その台詞に人情はあるのか? と訝しく思うのだがねぇ。

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