格好いいの種類。

2019.12.4心の健康, 日々のこと

世の中には、格好いいの種類が変わる人と、変わらない人というのがいます。
種類が変わらない人は、そのまま追い求めるか、格好いいに目を向けなくなります。
学生の頃、「モテたい」と思ったことのある人が、いつの間にか思わないようにするのが、「見なくなる」です。
モテたいだと想像できなければ、「好きな子と仲良くなりたい」と思ったことがあると考えてください。
それすら思わなくなるというのが、「格好いいを見なくなる」です。
 
そうではなく、格好いいの種類が変わらずに追い求めるというのは、子どもの頃に憧れた「格好いい」のままです。
子どもの頃に憧れた格好いいの種類は、数が限られているので、大人になった人たちがそのままだと、周囲の大人たちに見透かされます。
 
そこで今日の本題です。
格好いいの種類が変わった人たちって、大人が憧れるんですよね。
実際にぼくも憧れる人というのが変わりました。
例えば、子どもの頃にコンドルのジョーに憧れていたとしても、徐々に、ルパン三世に憧れるようになったり。
『ワンピース』に登場する格好いい人たちも、全員、抜けているところがあって、そこで「笑わせて」くれます。
『ドラゴンボール』の孫悟空も、嫁さんには頭が上がらなかったり、働かなかったり、親としては、ライバルであるベジータの方が立派に描かれていたりします。
 
さて、ここまでで気づくかも知れませんが、人を笑わせることを格好いいと思えるかどうかが、大人の格好いいの変わり目な気がするのです。
その笑わせ方も、自分を下げることで、周囲を和ませるやり方です。
だから、ここに挙げた人たちって、他の登場人物からツッこまれているんですよね。
 
ここに書いた人たちというのは漫画のキャラクターだから、天然かもしれませんが、読者や視聴者を惹き寄せる「笑わせる格好よさ」を現実でやろうとしたら、意識的にならざるを得ません。
しかも、人を「おぉー」と言わせる何かも発揮できなきゃ、いけませんし。
抜けてるところも見せながら、しっかりしたところも見せるって、相反することで不可能に思えますが、だからこそ、憧れるんですよねー。
昔は思わなかったけれど、今はそういう人を格好いいと思います。

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