最初に言った案。

2019.8.9ビジネスの健康, 日々のこと

「それ、最初に言った案ですよね」というのは厄介だなぁと思った。
言われる方ではなくて、言う方であることが多いんだけど、この後、言われた方にどんな変化が起きるかで、その後の関係性は変わる。
そもそも、これが言われる状況とは、どんな状況か。
何かを言う→否定される→別の案を実施する、もしくは実施しない→否定された案に戻る、という流れだ。
 
デザインという仕事をしていると、こういうことは多いだろう。
というのも、先を見通さなければ効果的なデザインはできない。
その能力は、デザイナーとデザイナーじゃない人たちで差があり、それ故に「ヒポクラテスの誓い」のような職業倫理が必要になる。
だから冒頭のようなことが起きるのは仕方がないことだが、どのタイミングで気づくかが、良きデザイナーと付き合える機会に恵まれるかどうかが分かれる。
すべてのパターンを試行錯誤すれば、自ずと答えに行き着くわけだが、「これ、〇〇さんが言っていたことじゃん」と気づく人は、あまりいないような気がしている。
 
だから、気づく人と気づかない人で、クライアントとしての優先順位がつけられるわけなのだが、気づける人の方が、優先順位は高くなる。
もっと言えば、気づけたときにちゃんと言える人の方が、優先順位はさらに高くなる。
人間の時間は有限で、やれること、関係性を維持できる人数も決まっている。
だから、その中で、優先順位を高くしてもらうための、競争とは言えないような競争はある。
「バカだな〜」と言いながら、可愛げで何かを言ってもらえるうちに、どれだけ学習するか。
「バカだな〜」を重ねると「バカか」に変わり、「バカか」を重ねるとシカトに変わる。
こうやって優先順位というのは下がっていくものだ。
それは仕事関係でも、私生活の関係でも同じだろう。
 
話を仕事関係に戻すと、先を見通せないのがクライアントなのだから、相手の疑問に答えながら、提案をしていく。
相手にとっては突拍子もない案に聞こえるときもあるが、それも説明する。
説明によって、クライアントが先を見通せるイメージができると話が通るが、イメージできないと話は通らない。
イメージできない人というのは、手を替え品を替え説明をしても、イメージできないものだ。
だから、ぼくは説明はするが、説得はしないようにしている。
大事なのは、相手が気づくことだからだ。
それに、たとえイメージできなくても、ちゃんと信頼してもらえていたら、話は通る。
だから、職業倫理のある専門家の話が通らないのは、信頼されていないことの表れでもあるので、基本的に優先順位を下げていく。
 
さらに、どんなタイミングであれ、気づいたときに、自分の力で気づいたのか、蓄積されたヒントによって気づいたのか、どちらの判断をするかで、優先順位は変わる。
気づきというのは、蓄積されたものによって気づくレベルになるのだから、自分の力で気づくなどということはほとんどない。
だから、気づいた時に、気づかせてくれた人や物事に、感謝を伝えるのはとても大事だ。
その後に、気づいていなかった頃の自分について、「あの頃はバカだった」と認めるのかどうか。
ぼく自身、この連続だ。
だからかもしれないが、こういうことができる人を、ぼくは優先している。

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