先達の本を読む

2010.8.22日々のこと

 先日も書いたが、押井守さん『凡人として生きるということ』、千住博さん『ルノワールは無邪気に微笑む』を読んだ。読んでいて驚くのが、かぶっているぞということが度々出てきたことだ。

 たとえば、観た作品の感想や評を学生時代に書いていたということ。僕も大学時代に「ブックレポート」という学術的読書感想文を何度か課題提出させられていた経験から、展覧会などを観ても学術的展覧会感想文を書いていたのだ。学術的と聞くと難しく思われるかもしれないが、良かった点、悪かった点、自分だったらどうするか、などを背景、知識も用いて論を立てて、感想文をかくというだけなのだ。基本は感想文。しかし、どこかの批評家のちんぷんかんぷんな言語と文法で読み手をけむに巻くような展覧会批評を読むよりかは作ることも、書くことも力になったと思われる。

 あとは、健全な生活をしているということ。もちろん、制作はハードだし、無理な姿勢も続く。けれども、朝起きて夜寝るという、所謂、普通の生活をしているのだ。僕も度々感じるのだが、夜型、酒浸りなどの偏見に満ちあふれたアーティスト像のように生きている人間から良い作品を生み出しているとは思えないし、ほとんど会った事がない。制作をしていてやはり痛感するのが、人間は自然なのだ、ということ。つまり、制作の質を高めようとすればするほど、健全な生活になるのだ。たとえば、学生時代、僕は夜中まで作業したり、ビールでお腹をみたしていたこともあった。しかし、制作時間も今の方が多く、身体への負担も大きい今の方がどうやら健康体らしいのだ。ちょっと前に健康診断にいったところ、学生時代は0.5だった右目の視力が0.9まで復活していたり、結果を見た医師からは「すごい健康ですね〜!」と、こちらが恥ずかしくなるほどの状態だったのだ。

 良い仕事は良い身体から、良い身体は良い心持ちから。

 似ている部分もあれば、似ていない部分もあるのは当然だけれども、良書だった。


 良書といえば池田晶子さんの『14歳の君へ』を一番に僕はあげる。この本は『14歳の哲学』をもっとやさしい文章にしている版とも言えるのだが、僕は前者の方が断然お勧めする。これは若くして読んでもいいだろうし、それこそ大人たちが読むべき本だと考えている。そして、僕はこの本を人によく貸しており、今も友人が借りている。そして、僕はこの本を中古で買った。それなので、この本には様々な人の手垢が付いているはずであるのだが、だからだろうか、返ってくる度に本の存在感というか厚みというか、豊潤さが増していっているような感じがするのだ。本は文字、つまりはインクが記号として載っているだけなのに、これほど豊かになれるのだ。それって凄い単純で、凄い人間らしいことであるとともに、僕らも頑張らなきゃいけないな、と勇気づけられるのだ。

2 コメント to “先達の本を読む”

  1. ryusuke Says:

    「14才のきみへ」借りている本人です。14才の時に読んだら、理解できなかっただろうなという位、深い内容で驚きました。それでいて読みやすい。よい本をありがとう。

  2. eguchimasaru Says:

    あれは考え方の1つだと思いますが、「当たり前」とされてきたことが、実は単なる「偏見」ばかりの世の中とは異なる生き方をするのには、背中を押してくれる本です。

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