一番の謎

2010.8.8日々のこと

 最近は、速度について考えていることが多い。生きる速度は平等なのだろうか。夭折してしまう人もいれば長寿の人もいるし、太くて短い生や細くて長い生についても何度か聞いたことがあるだろう。しかし、時間は一定に進み、仮に後退しているとしても、一定に移動しているのが時間であり、私たちはその中で生きて、死ぬ。速度を感じる時や、遅いと思う時でも時間は一定に流れている(はずだ)。

 しかし、「速度が大切」と思うときもあり、そう思えるのは、「時間は一定」という先に挙げた事柄を理解しているからである。そして「時間は一定」と刷り込まれているからこそ、急いだり、案件の重要性を考えて打ち合わせや作業のペースを考えたりするわけだ。もしも、時間が自由自在に扱えるものだとしたらどうだろうか? もしくは、時間が勝手に遅くなったり、速くなったりしてしまったらどうだろうか? 急いでいるのに時間が速く進んじゃう、時間を持て余しているのに遅く進んじゃう。人生は無常だ、だからこそこんな風に時間を感じるのだろうが、それでは、「時間は一定」だろうが変化しようが、同じなのだ。それは、自由自在に扱えたとしても、同じように扱う(扱うということは認識しているということだ)だろう。つまり、自分の認識次第ということなのだ。無限だと認識すれば、無限になれる。

 けれども、そんな中であっても、人間は生きて死ぬのだろう。時間さえ超えた、これほどの謎だからこそ、今までも多くの人達が考えている問題なのだ。この問題を解いている時が、一番、面白い。

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