ぼっち力。

2019.5.20ビジネスの健康, 日々のこと

先日、『アウトデラックス』というテレビ番組を見ていると、マンガ『南国少年パプワくん』の作者である柴田亜美さんが、ゲストとして出演していて、とても面白かった。
その中でも「どの編集者よりも長生きする」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っている。
最近、ぼくは「ぼっち力」ってことを肯定的な意味として多用している。
現代のビジネスでは、一に共有、二に議論、三四も共有で、五に議論が正解のやり方だろう。
まぁ、その中に実践があるわけだが、その後は自分の貢献を喧伝するわけだ。
みんな仲良さそうに振舞っているが、実際のところは手柄取りとマウンティングが行われ、評価を気にするわけだ。
コミュニティづくりも、結局は似た仕組みだ。
だから、ぼっち力が高いと、協調性のない人としてそれだけで価値を下げられやすい。
 
だが、まてよと。
自分の考えを練ってこないで交わされる共有や議論では、耳障りだけがいい陳腐な内容が飛び交う。
競合がどうとか、問題解決や社会貢献を主とした、つまらない結論になる。
 
ここを圧倒的に違うだろと思えてしまうのは、幼少期から読み続けているマンガのお陰だ。
読書とは違って、マンガを熱心に読んでいると怒られたり、呆れられたりする。
しかし、ぼくの構成力や構図力を鍛えてくれたのはマンガだ。
幼少期から読み続けているマンガである(二度目)。
マンガは一人で読むものだ。
休み時間、学校の帰り道、授業中に、部活中。
みんなといながらマンガと向き合って一人になる。
友人が読んでなさそうなマンガがあれば、「あのマンガ、面白かったよ」と伝える。
自分が持っていたら、貸して読ませる。
気に入った構成や構図を覚えて、それを真似て。
どんなキャラクターだったら読者は応援したくなり、どんなストーリーに感動して、お金を払うのか。
つまり、ビジネスになっていくのか。
読者がお金を払えば、編集者もアニメーターも仕事になる。
その他にもたくさんの仕事が生まれる。
その最初にいるのが、漫画家だ。
当時はそんなこと考えて読んではいなかったけれど、自分の体に染み付いている。
 
ぼくが最近ハマっているサッカー漫画の『DAYS』でも、水樹キャプテンは言っている。
「好きにやれ。責任は俺が持つ」と。
水樹キャプテンがいる聖蹟高校をはじめ、ライバル高も含めて、登場人物の全員が努力家だ。
努力、つまり練習している時は全員孤独。
フリーキックの名手となるのも、天才ドリブラーになるのも、一人の練習を積み重ねた結果だ。
孤独の練習を積み重ねた人同士が集まって、強いチームができる。
答えを知ったからといって、体現できなければ意味がない。
だから、尋ねる前に、自分で考えて練習をする。
それでも分からなければ質問をする。
質問をした後は、答えを考えて、また練習をする。
その間、ずうっと孤独だ。
これが強い成果への第一歩だ。
一人の練習を忘れたら、力はつかない。
ぼくは、ぼっち力の強い人を応援する。

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