立派なことは何もない方が健全だ。

2019.4.15ビジネスの健康, 日々のこと

色んな経営者と会っていて、みんなが口を揃えて同じことを話す。
「自分の事業はこんなに素晴らしい」と。
けれど、誰かが言った、「会社は社会の公器である」と。
法人のはじまりを考えたら、公益しかないわけなんで、こんなのは当たり前のこと。
だから、ぼくが自分の事業に対して考えていることは、「会社の事業は社会の役に立っていないのではないか?」や「そんなに大したことはないんじゃないか?」ということだ。
法人という形態をとらず、個人事業であるぼくでさえこういうことは日々考える。
 
ほとんどの事業は、次の時代に入れば、同じ形では残らない。
だから、人としての機能を持っている法人は残っても、経営者である個人は入れ替わり、事業の形は変わる。
これが、法人だ。
しかし、自らのことを立派だと、社会に貢献していると思っている人が変わり続けるのは難しい。
そして、最終的にロクなことにならない。
(飛行機の中で観た『検察側の罪人』は、まさにそんな映画だった)
 
昔の人は自分自身のことを「大したことはしていないんですけどね」と、相手を油断させる言葉を使っていた。
油断まではいかないとしても、クリエイティブなんてことは、何でも願いの叶う魔法でもないし、どんな傷も治る万能薬ではないと、つねづね言っている。
ただ、多くの企業がクリエイティブを間違った使い方をしているので、適切な使い方を教えたり、作って見せているだけだ。
すると、魔法のように見えてしまう、ただこれだけのこと。
現代では、願いの叶う魔法や万能薬を追い求めている風潮だし、ビジネス書もそんな書き方になってしまっているが、ちゃんと、タネも仕掛けもあるのが、人の仕事だ。
 
「貢献はしたいけれど、貢献なんてしてないんじゃないか」と考えること。
こうやって、ようやく事業は続いていく。

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