星と人間

2009.12.30日々のこと

 今年も例年通り、飲み会の後に「エグチマサルの部屋をキレイにしようの会」を催して頂きました。とても助かりました。相対的にみても平時において僕のアトリエや部屋は綺麗な方だろう。というのも、作品の保管にも影響が出てくるし、単に乱雑な場であるのに対して安易に言われてしまう「混沌」というものに純度の低さを見出しているからだ。純度の高い「混沌」にはそれ自体で価値があるだろうし、止揚が起きるだろうが、人々が使ってしまっている「混沌」の状況は単なる甘えだと言える。

 そして、友人達が帰宅した後、風呂に入り、身を整えた後に見上げた夜空には星が輝いていた。星の輝きには、その星の死が近いことを表しているという意味があるらしい。星は死んだ後、ガスとなり、次の星が生まれるための栄養(糧)となり、後世の星々へと繋がっていく。そのようにして宇宙は時の流れを繋いで来た。それは宇宙にだけ当てはまることではなく、地球にも、人々を含む全ての生命体においても同様のことで時代も文化も超えて繋がって来たのだ。すると、肉体の死(物質としての死)は恐れるに足らないことであり、輪廻を絶ち、流れを止め、循環を亡くすことがどれほど宇宙の真理から離れることなのか、それを個々人の精神(脳と言う人もいるだろう)において考えると面白い。

 壮大だと思われる宇宙は、私たち人間ひとりひとりにおいても同じだと言うことがわかるのだ。私たちの中には同じ宇宙が広がっている。これだから考えることは面白く、人間という動物の純度を高めることなのだ。反対に、考えることを中途半端にしてしまう者は、人間という動物の純度が低いということだと言える。

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