お金の価値

2009.12.25日々のこと

 やはり、悲しいことに世間一般に最も大切とされているものの1つに「お金」というものが挙がってくるようだ。「お金」というものに絶対的な価値を見出しているのが現代人と言えるのかもしれない。けれども、「絶対的」と思われている「お金」の価値も、為替相場の数字を見ていると、とても不安定なものとして見ることが出来る。その数値は刻一刻と変化し、2008年以降の不況によって、円高傾向は増すばかりで、先日もドバイ関係で円高が進んだようだ。

 僕にとって経済学は門外漢だが、お金の価値というのは不安定なものだということは理解出来る。バブリーな時代、1000万円かウンビャク万ドルかは忘れたが、それほどの額で取引をされていた作家の作品が今や10数万円で引き取って欲しいということになっているそうだ。また、清涼飲料水1つをとってもAスーパーでは80円、Bスーパーでは120円で売られていたりもする。値が大きいように見えても小さいように見えても、絶対的ではないということが露呈されているに過ぎない。私たちに流れている血液も滞れば、体に不調をきたすのと同様、不況になるのは「お金」の流れが関係しているのも理解出来る。そして不況だと言って、先の見えないことを徒に不安がって貯蓄に精を出す人々、貯め込む人々によって物は流れなくなり、やはり景気は悪くなってしまう。

 しかし、ここで1つ考えて欲しい。「先が見えないことへの不安」というのはどういうことだろうか? 先が見えている人はいるのだろうか? 「○歳までに△△をする」というのは夢や目標であって確かに約束されていることではない。もしかしたら今日、車に撥ねられて死んでしまうかもしれないし、半年後に重病に冒されてしまうかもしれない。つまり、「先が見えない」のは万人に共通のことなのである。にもかかわらず、「先が見えないこと」を徒に不安がって、お金を貯めることに精を出すのはどれほどの価値があるのだろうか。

 そして、先日、TV番組でどこかの研究者が「不況は本当に大切なことを考える良い機会だ」とおっしゃっていた。まさにその通りではないだろうか。この不況の今こそ、「お金」がとても不安定な価値だということを知り、「明日、死ぬかもしれない」ということを知り、「自分がやりたいこと」を考え、「自分がやりたいこと」を本当に実践してみてはいかがだろうか?

 そのように「本当にやりたいことを実践する」生き方をしていると、実はどうでも良かったことに左右されずに、人間が生きて、死ぬということを考えることが出来るようになるものだ。人は誰でも、生まれては死ぬ。どれだけ裕福だろうと貧乏であろうと、死ぬことだけは避けては通れないのだから、「生きること」と「死ぬこと」について考えることが出来るのがどれほど幸せなことか、理解することが出来るだろうか? しかし、そのことを考えることが出来るようになると「お金」や「安定」を第一の価値に挙げることが出来なくなるのだが、さて、君はどちらの人間が幸せだと思うのだろうか? 「生き死に」について考えることが出来る人間になりたいのか、明日死ぬかもしれないのに見えない将来のために「お金」を貯め込む生活をする人間のままでいいのか、選ぶのは君自身だ。

(2009年12月25日 19:48)

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