「らしい」とは?

2019.3.5日々のこと

「らしくない」ことが続いているような気がしている。
「らしくない」仕事の仕方をしていたり、「らしくない」関係性であったり、そういうことが続いているような気がしている。
こういうことを書くってことは、そもそも「らしい」ってなんだろうと考えるからだ。
まぁ、至極つまらない言い方をすれば、今までだったらしないことをしてみたり、何かを決めるときにも今までだったら選ばない方を選んだりしてみるってことだ。
そうやって、自他における「俺らしい」が出来上がる。
でもまてよ、子どもの頃の俺らしいと、今の俺らしいも同じなのだろうか。
何か俺足らしめる何かがあるのだろうか。
一応、「江口克」として存在しつづけて、連続して会う人たちによって、俺が江口克だということになっている。
戸籍上もそうだ。
だが、しかし、それが「俺らしい」を作っているかと聞かれたら、何か違う気もする。
格好だけを言えば、大学の頃から写真家一本だった頃までと、今の服装は違うところが多い。
少なくとも古着の柄シャツは着ていない。
中身を言えば、その頃の方が、平気で人を傷つけていた。
今は痛みがわかってしまったのと、傷つけた後のむかつきに飽きて、なるべく傷つけないようにしているだけかもしれない。
あ、これについては違うか。
傷つけないようにしたら、面倒臭さが増した。
うーん、「らしい」ってなんだろうね。

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