本来はつまらない仕事。

2018.12.12ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

昨日は、「面倒臭さを乗り越えて、仕事をおもろくしている」と書きましたが、これは本当にそうだと思ってます。
 
他の人はどうか知らないが、ぼくは左団扇で暮らしたい人です。
なるべくなら、何もしたくないか、好きなことにちょっとの刺激があって暮らしたい人です。
刺身の薬味に、わさび以外を使ってみるぐらいのドキドキでいいんです。
 
デザインや写真なんて仕事は、本来であればつまんない仕事だと思います。
素人である依頼人にいちいち説明するのも面倒だし、その人の意見で崩壊してるのに、利益が上がらないのを、こちらのせいにされたり。
利益が上がったって、ぼくらの提案だったことなんて忘れ去られていることがほとんどです。
素人よりもひどい依頼人は、作る力のない元デザイナーとかデザイン関係の仕事をしてた人とかね。
運がいいのは、ぼくの依頼人はそんなことないってところです。
この人たちを守るためにも、ぼくは依頼数を制御しています。
 
話を戻しますが、こんな世知辛い仕事、普通にやっていたら退屈なだけです。
退屈なことをおもろくするには、自分ごとにするしかないような気がしています。
 
ぼくであれば「ぼくだったら絶対に買う」ことを提案する。
ぼくは今まで関わった仕事で、手に入れられるものは、すべて購入しています。
自然栽培なんて、結局、畑をはじめちゃいましたし。
 
依頼されるまで、まったく興味がなくていいんです。
むしろ知らないことだらけの方が、質問もしやすいです。
その代わり、仕事を引き受けたら、決算報告書を見たり、四季報なんかも読みます。
 
やりたくないものは環境に置かないようにしたいです。
だから、やりたくない仕事を断るのはもちろん、事務所内で見るのも嫌だったんだと思います。
 
昔、「お前はときどき、すごい冷たい目をする」と言われたのを覚えています。
その代わり、引き受けた仕事は、面倒臭さを乗り越えて自分ごとにしていっているだと思います。
 
好きを仕事にしているアーティストも、実はそれほどいないです。
出たくもない社交場に出ることをしていますし、よぼよぼになって呼ばれなくなってから「俺は出たくないから出ない」と言っているのです。
だからね、仕事をおもろくするのって、面倒くささと一蓮托生な気がするのです。
 
毎日仕事をしていることや、仕事から関係のない場所に行っても、仕事と結びつけて話をしているのも、「ありえない」と妻から言われていますしね。
 
面倒臭いけれどおもろさをとるか、面倒臭い退屈さをとるか、どっちかのような気がしています。
面倒臭さは変わらないと思うんですよねー。

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