モノと人、そして、人。

2018.9.26ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

いろんな案件を経験してきて気づいたことがある。
 
「モノをつくる方が感動する」
 
感動するのは依頼人や生活者、つまりすべての人だ。
これがwebやアプリなどになると、途端に感動的なシーンにならない。
これは媒体による差が大きい。
webやアプリなどの場合、オリジナリティを極力排除することで、使いやすさが向上するのが定石だ。
使い心地に何も感じさせないことが、一番使いやすいともいえる。
交通系ICカードのように、人を介しないサービスの鉄板ごとともいえる。
 
しかし、感動というのは、一種のつまずきだ。
たとえば、感動の種類として「美しい」というのがあるが、いちいち「美しい」と感じていたら、使い心地もあったものではない。
美人は三日で飽きるといわれるように、飽きないようにするのが感動だ。
「かっこいい」や「かわいい」も同じだ。
そして、「美しい」や「かっこいい」などの言葉が出るのは、決まってモノをつくっているときだ。
 
「これならイケる」と依頼人も含めて感動するのは、モノのときだけだ。
けれども、発売した後に改善をするのはモノでも、モノじゃなくても起きる。
それでも、感動という差が生じてしまう。
さらに言えば、モノじゃなくても、接客業のような人を介したサービスも、モノと同じような感動がある。
 
モノであることと、人と人とのコミュニケーションであることは、人が抱く心地として何か共通のものがあるのかもしれない。
 
モノと人、そして、人。

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