蓮根と存在

2008.12.22日々のこと

「鼻炎には蓮根がいいですよ」と教えてもらったので、ここ一週間ばかり蓮根を食べている。専らきんぴらか、中華風のきんぴらかのどちらかだが、蓮根を見ていると「お前ってすごいなぁ」と思えてくる。泥の中から生み出され、水分の多い泥を体中に纏っているが、その皮をむき、水もしくは酢水に浸けていると純白の君が現れる。そして、サクサクとした食感と何にでも合う融通さ、泥と穴だらけの見た目からは想像を遥かに超えるものではないだろうか。しかし、この蓮根の性質というのは実は、とても大切なことを私たちに伝えているように思えて仕方がならない。見た目ばかりも求めていると、形骸化か生じ、結局「何もない」(正確には低質なものしかないだが・・・)ということになる。そして、「泥」という自然が、つまり、土という大地が直接に生命をつくりだしているということと、「穴」という私たちにも当たり前に存在しており、案外、その穴に惹かれる性質があるのではないかということが、蓮根にみえてくるのだ。と、いうことは「見た目が全てじゃない」ということよりも、「醜いとされていることにも惹かれる」ということでもあるのではないだろうか。

話は変わり、今日のような風に当たっていると、次のように思えてくる。

「僕を連れて行っておくれ。体が邪魔ならば、喜んで捨てよう。魂が邪魔ならば、喜んで我を忘れよう」と。

以前にも書いたと思うが、僕の地元である朝霞という町は坂が多い。以上なぐらい多いと思われるが、そのために風が吹いていなくても、すぐに風を感じることができるのが朝霞である。走れば走る程、風が自分の周りにいることを知らせてくれる。いつの頃からか幼い時なりに、重力を使った方が速く風を抱けると思っていたのか、色々なところから飛び降りていた。着地を失敗したり、地面が砂利だったりするとかなりの痛みを伴うが、真っ白い部屋に管理されて存在しているよりも何百倍も心地よかった。機械のような人間たちよりも、たとえ見えなくても感じることで見える生命たちの方が、自分を導いてくれる者たちだと思っていた。

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