国民性。

2015.11.23日々のこと

僕ら日本人というのは、疲れたがる国民性だろう。仕事を楽しみではなく、できるならやりたくないことにし、何でもかんでも気合いでカバーしては徹夜のような状況を当たり前としている。誰もが監視者として優位に立とうとし、批評や批判は当たり前としている。もしくは、誰かの中に自己の必要性を求め、強要する。
 
人は一人だ。一人で自分の足で立つことが自立だ。一人で立つことをして、自分の得意なこと、不得意なこと、必要なこと、不必要なことが見えてくる。そうして、自分にとって必要なのに、自分には力がないことをできる人同士が集まることが有効な組織作りになる。これは、組織とは言わず、人間関係だろう。人間関係の基本だ。
 
一生こんなことで苦しむのだろうかと疑問に思ったとき、「あなたは何でも出来すぎるのよ」と、昔に言われたことを思い出した。実際、有史以降に人間がやってきたことで同じ人類である自分に不可能なんてないとさえ信じている。背の高さや、100mを9秒で走ることの生理的なことで言えば不可能が出てくるが、人工的なことで言えば不可能はないと考えている。体が爆発したとしてもジェットエンジンをつけたら9秒の壁は超えられるだろうが、ボルト選手と同じように走ったら、負けてしまう。
 
この一年、考える速度が遅くなっていると感じているのだが、迷う時間が増えていることが明白だ。それとともに、体の不調が続いているのも同じだろう。いつの間にか、自分が人の足を引っ張るような人間にならないように気を引き締めなくちゃな。

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