無償の愛の時間。

2014.11.9日々のこと

時間ということにおいて、「仕事の時間」、「生活の時間」が分かれているのが普通だろう。しかし、僕にとって仕事は生活であり、生活を潤そうと思ったら、仕事をしていることを選ぶ。つまり、僕においては、仕事の時間と生活の時間は別個の時間軸ではないのだが、「家族と過ごす時間」は、別になっている。
 
「仕事を家に持ち帰るタイプ」と昔からよく言われている。付き合っている人がいたら参考意見を聞くし、実家に帰っても仕事の話をする。僕は大分、放蕩息子だったが、それでも家族から信用を得られたのは、常に自分のしていることの話をしてきたからだろう。浪人をしてまで入った心理学の道ではなくて、写真の道に進み、全てを合わせてクリエイティブの道を開こうとしている。今まで生きてきたことを繋げて考えることが出来るのも、僕が常に仕事をしてきたからだと自負できる。
 
ただ、ふと感じるのは、「家族の時間」が少なすぎるような気もしているのだ。昨夜、映画を見ていて、ホストに金を使っている仕事人間な金持ちのおばさんが、「私の母は58歳で閉経した。私もそろそろ58。私は自分が育てた男がトップに立つのを見てみたい。」というようなことを言っていた(と思う)。
 
仕事には、「育てる」ということはあっても、「育む(はぐくむ)」ということはあまりない。家族のように無償の愛というもので、時間とお互いの関係を育むということがないのだ。その寂しさの連鎖が、昨日の映画の中にあった。最近感じていた寂しさの要因は、家族のような無償の愛を、誰にも与えていないことかもしれない。

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