本当は

2014.7.26日々のこと

「何故、道具が必要になるのだろう?」と疑問を持つことがあります。
 
「何故、パソコンを持つのだろう?」
 
「何故、カメラを持つのだろう?」
 
「何故、携帯電話を持つのだろう?」
 
独りで生きていくのなら、必要のないものだというのはわかります。しかし、ここで疑問を持つものたちは、機械であって、道具すべてということではありません。
 
「何故、棒を持つのだろう?」
 
「何故、水筒を持つのだろう?」
 
と、原始的な暮らしをすれば、「必要なもの」を持つ必要性がわかります。つまり、先に挙げた機械達は、本当は必要のないものかもしれないという疑念が生じるのです。本当は、星を眺め、そのまま、眠りにつきたいということが、自分自身が一番よくわかっているのです。

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