個人の幸せ
2013.6.2日々のこと社会の中に個人が放り込まれるのか、個人の集合体が社会なのか——どちらも正しいように思えますが、僕は後者の考え方を採用しています。
全人類が滅びれば社会そのものがなくなるし、僕が産まれなければ僕は社会を認識することも、誰かと何かを一緒にすることもなかった。つまり、社会は誕生しなかったということです。
こうやって話すと、とても当り前のことなのですが、多くの人達が忘れてしまって、社会が既にあるもの、社会の中で生きることが前提になってしまっています。そうすると、「○○しなきゃいけない」と正義感を振りかざしたり、生きづらさを感じたまま仕事や生活をしちゃうんでしょう。今の日本で生きていると、この二極化が進んでいるように感じます。
僕が個人の幸せを大事にするのは、そうさせないためなのですが、すると「何をしてもいいのか?」と怒る人達がいます。
極論を話すと、そこで怒る人達は、人間の悪い側面しか見ていないような気がします。つまり、相手の良い面を信じていないわけです。相手の良い面を信じず、悪い面を信じているのなら、相手は自分のことを信じませんよね。
それが、利益志向や戦争の原因だと思うんですよね。
もう一度言います——僕は、個人の幸せを大事にしています。
だから、「幸せ」というのは、人によって違うでしょう。僕は「今、笑って死ねる自信がある」というが幸せです。