雑記

2013.4.27日々のこと

人から言われて気になっていたこと——希望を失わない理由や、笑顔でいること。
 
何故? と訊かれてもねぇ、なんて一瞬だけ思っちゃったけれど、希望の在処が僕自身に向けてないからかもしれない。僕がやろうとしていることの芽が出始めるのは、早くても25年は先だと思っている。繋げるための土台でいいと僕自身は思っているし、やり方も幾通りかある。
 
疑いようのない自信があるように思われるのも、僕自身の考えは残っていくし、作品も100年後は残っていると確信しているからかもしれない。
 
そういう意味では、やり残したことって、案外、ないもんなんだよね。
 

 
天って、空って、すごいよなぁ。
 

 
寺の境内で、日向ぼっこをしているのが日課になりつつある。和尚なのか坊主なのか知らないけれど、このご時世で、お咎めなしなのが嬉しい。
 
そんなある日の昨日、カメラを持った初老のお父さんが、境内にある木を撮っていた。一本の木に対して構図を変え、構え直し、最低でも3枚は撮ったように見えた。
 
一連の出来事を眺めていたら、被写体であるはずの木が、お父さんに撮影をさせているように見えたのだった。制作中、僕も作品に動かされているような感覚になることがある。それが、他人の動きに於いても感じてしまったのだ。木が手伝ったような、和やかな雰囲気だった。
 
全てのものがそうだとしたら、もしかしたら、僕は、何もつくってこなかったのかもしれない。
 

 
天を眺めながら考え事をしていると、大体は安らかな気持ちになる。
 

 
足下にいたアリんこを眺めていたら、高校時代の授業中、窓際にいたクモの動きを眺めていたことを思い出した。あの頃から、様々な技術や会話力は上がったけれども、実際のところは、な~んも変わっていないような心地がして吹き出してしまった。
 

 
アートでもデザインでも依頼でも自主でも、作り始める前に、「これで誰が幸せになるのか?」という疑問を持つようになった。つくづく、面倒臭い人間だと思われてるんだろうな、と苦笑い。

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