明日にちなんで映像の話(映画だけどね)

2012.8.24日々のこと

『十二人の怒れる男』(監督:シドニー・ルメット)を観ていた。ほぼ1つの舞台で観客を魅了させる台詞回しや演出、秀逸過ぎる。何度観ても勉強になるし、脚本を読んでみたい。
 
作品は変わり、今月初旬に『ダークナイト ライジング』(監督:クリストファー・ノーラン)を観たが、僕はこの三部作が好きだ。物語としても、映像としても好きであり、(好き嫌いとは関係ないが)かなり古典的に作られている。セットを組み、エキストラを集め、進行人物の視点でカメラが進む。三作目の『ダークナイト ライジング』に至っては、IMAXフィルムを使いまくり、DVDやBDのホームシアターで観たり、小さな映画館で観るのには勿体ない映像だ。
 
僕は、この2つの映画は「限定的」という意味で似ていると考えている。前者は、いわずもがな限定された空間と人物で約90分進んでいく。後者は、映画をつくるための道具と人間の使い方、そして完成された映画のクオリティを存分に発揮するためには、映画館のサイズが求められるということ。
 
マルチカムで撮られ、CGを多分に使用しているのも、頭を空っぽにして観るときにはとても好きだし、そういう一見すると無制限な作り方が製作における「現代的」と言えるのだろうが、脚本の素晴らしさを感じるのは「古典的」に作られたものが多いような気がした。

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