歴史に馳せる

2012.8.20日々のこと

作品の資料を読んでいて、説を曲げられて攻撃されたエピクロスはどういう気持ちだったのだろうかと、考えていた。おそらく、今のように言論の自由度はそう高くはない時代の攻撃だ、そうとうなものだろう。それでも、心の平安を保っていられたのだろうか? そして、攻撃した人間も高度な教育を受けたものであり、エピクロスが言おうとしていたことを理解できなかったはずはない。にもかかわらず論旨を曲げて攻撃した際は、いかなる気持ちだったのだろう。これらも推論でしかないが、わかっていても攻撃しなければならないとき、そこには恐怖があり、不安があるはずだ。しかし、既にそこには高みに行こうとする姿勢とは異なるものしかないのではないだろうか。

 

そして、他国の文化を調べても、「無常観」や「無常感」に収斂されている。

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