共生
2012.5.24日々のことよく聞く言葉だが、「こらからの時代は○○が牽引するだろう」という発言の内容には優劣が発生している。その優劣は価値観の優劣というよりかは、勝ち負けと言った方がいいだろう。大抵の場合、今までのものが負けて、○○にくるものが勝ち組になるとして挙げられている。けれども、今までのものがあってこその、その考え方が生まれたのだし、そういってみたら、これから勝ち組になるものは、これから負け組になる先達が生んだものだ。
そのように考えていくと、掌返しのような言い方はどうなのかな? と訝しく思えてくるし、どっちも良い所を残していくことはできないのだろうか、と考えてしまう。良い所を観なくてもいい、存在を認めながら、こっちも生きているという「共生」はできないかなと、考える。アートとデザインの共生、写真とペイントの共生、男女の共生などなど。
僕は欲張りな性格なので、生活を助けたい人もいるし、そうしたことでやりくりできなくなってしまう人達もどうにかなって欲しいと思う。最近、自分がアーティスト、写真家として次のステージに入っているのに気付いていたのにもかかわらず、そのステージの実体が掴めずにいたのだが、どうやら「共生」ってことのようだ。4〜5年ほど前から「共生」という言葉を使っていたが、ようやく血となり肉となったのかもしれないな。違うかもしれないけれど。