最後の最後には
2011.10.6日々のこと 多種多様な道具を使い、多岐に渡ることをして、他業種の方々と会っていてもプラスに変えることが出来るのは、一切の道具がなくなれば大地に絵を描けば良いことをわかっているし、手足が動かなければ頭の中で作品を創れば良いことをわかっているからだ。複雑な行いをしていても、考えがシンプルであれば大丈夫なのだ。
それよりも心配になるのが、高校生や大学生と話していて、彼らの言葉が「大人からの入れ知恵」のような手本通りの回答を、何も疑わずに純粋な目で言えているということだ。そして、「完璧」であることを求め過ぎているように見受けられるのだ。ゴールとそこへ辿り着く方法論が分かった上で、ゴールに辿り着くという意味で「完璧」という言葉を使っているのであれば頷けるが、どうやらゴールにならないあやふやなところに完璧さを求めているようなのだ。それ故、大人が少しいじわるな質問をすると、途端に自信をなくしたようになるのが、先の彼らの発言が自分の言葉として言えていないかという証明になっているというのに。けれども、そういう子に限って優しいし生真面目なのだから、「大変だろうな」と人の子ながら気になってしまう。