失敗の経験値
2019.7.17ビジネスの健康, 体の健康, 心の健康, 日々のこと仕事部屋の椅子に座りながら目薬を使い、片付ける時に目薬を落とした。
落ちた目薬は、机の下の奥に転がって止まった。
ぼくは咄嗟に裸足だった足を伸ばし、目薬を手前に来るように蹴って、その後、かがんで拾った。
作法が汚いと思う人もいるだろうし、同じことをすると思う人もいるだろう。
そう思ったとき、あることに気がついた。
「机に頭にぶつかることが、勝手に思い浮かぶようになっている」
大したことじゃないのはわかっている。
だが、椅子から降りて、机の下に潜り込んで目薬を取った後、机に頭をぶつけることを避けようとしている。
もしくは、頭をぶつけないように、慎重に意識して拾うことを、面倒臭がっている。
机ではなくても、頭より高い位置にある戸棚の扉が開いているとき、頭にぶつかる未来をけっこう想像している。
咄嗟に想像して、ぶつからないようにして扉を閉める。
この想像が勝手に思い浮かぶには、頭にぶつけるという経験をしなきゃできないのだろう。
実際、子どもの頃はこんな想像していなかったから、頭をぶつけることはけっこう多かった気がしている(他の人はどうか知らないが)。
「ぶつける→痛い→不快」という経験が、ぼくに想像させる力を与えてくれたと言っても言い過ぎではない。
足で物を引き寄せるのも、当たっても痛くないものを作るのも、当たって痛い経験をしないとやろうと思えないだろうね。
ちょっと大げさに言うと、仕事でも私生活でも、リスクを回避できるようになるのって、失敗を重ねないとできないことだ。
リスクを想像して身動きが取れなくなるのは、失敗をしていないのにリスクを想像するからじゃないだろうか。
しても平気な失敗と、致命的な失敗の区別がつくのは、失敗の経験値によるものだ。