希望の光

2010.4.13日々のこと

 「希望の光」も10mを超えたところで、素材がなくなり一段落となりました。私のアトリエでは全貌を観ることが叶わないし、一人では運び出すことも出来ないのです。それ故、このままか、誰かに手伝ってもらって近くの広げられそうな所まで運び出すかのどちらかでしょう(とりあえずは)。

 「創作の瞬間だけが、作家としての全てだ」と明言するようになるにつれて、発表欲というものがなくなっていったのは以前にも書いてあるが、(自分でも把握出来ない量だったのでプロフィールにも載せていないほどの)展示ばかりをしていた頃も、展示をして誰かが見て何かを言われることがどうこうよりも、展示作品を観た自分と作品が成長していくことの楽しみの方が強かったのではないだろうか。

 そりゃそうだ。何で藝術が普遍に近づけるかというと、作家が生きていようと死んでいようと作品は作品として存在していることを私は昔からわかっていた。物心ついたときには絵を描くか絵本を読むか、手を動かして何かを作るかしかなかった。幼少期からはピアノを習わせられ、ポップミュージックやクラシック、世代を超えた漫画やアニメ、西洋美術(藝術)が環境にあり、日本(大陸)美術(建築)に連れていかれ、(大衆・古典問わず)映画でさえ教育の一貫として見せてもらえていた。そして作っていようといなかろうと、目の前に作品(らしいもの)は広がっていくし、視覚化されて私には見えている。食べても聴いても触っても嗅いでも広がるのは視覚であり、目を閉じていても作品は広がっていく。望まなくとも見えてしまうのだから、私にとって作品というのが楽しみも辛さも、好きも嫌いも、次元が異なると言えるとともに、それらが包含されているとも言える。見えてしまうものは仕方がない。そして呼応するように、動いてしまうのだ。その精度を上げるために意識を向け、錬磨を絶やさなかった。その内に我を持つようになったのだが、我に囚われないようになるとともに全てが結実するような感覚がした。性質と努力が結び合わさり、生命の束のような感覚を持った。

 あっという間だった。

 そして、

 長かった。

 けれども、

 あっという間だった。

 そんな感じの27年間です。

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