虫も活発、私も活発

2010.3.5日々のこと

 春を通り過ぎた陽気だそうで、虫たちも活発に働いていて、窓を開け放して作業していたら入ったり出たりしていた。先週から頑張っていた(?)お蔭で午前中には全てのことが終わり、郵便がてら散歩(シルク・エビス)→ベランダで読書、空を眺めながらの考え事・・・。このように書くと、悠々自適なオフの日とでも言われそうだが、オフだろうとオンだろうと結局は「感じて、思って、考えて」に繋がっていくのでオンの日と何ら精神的には変わりがない。

 それと同じで、世代や社会や法律を批判したり、カルチャーに左右されたり(されていない体を装って「流行がわからない」と言ってみたり)、している人間が多いのが現代とも言えるし、そのことはいつの時代もされてきたのかもしれないが、言える事はただ1つ、そのような批判をしている者は「感じて、思って、考えて」の能力が低く、自己の能力の低さを棚上げしているだけだ。世代が悪かろうが、社会が悪かろうが、法律が悪かろうが、結局はそれに左右される人間かどうかということだ。それは、どれだけ言葉を考える事が出来るのか、どれだけ人間を考える事ができるのか、どれだけ自分のしている事を考える事が出来るのかに由来する。たとえば「一般常識」。大抵の場合、この言葉を使用して話されている事柄は「現代日本常識」であり、「一般」とはほど遠い。「より普遍性が高く、当たり前の事」が一般常識なのであって、それを突き詰めていくと「生きて、死ぬ」ということに行き着くほかは無い。「それでは社会でやっていけない」と言い訳をする者が現れるが、その社会のことをその者は「良い社会」だとは言わない。しかし、「一般常識」を「現代日本常識」と分かっており、かつ、行動している人は、その行動の先に人間を良くしようと明確に考えており、そんな人の言葉や行為は強い。

 しかし、そんな人間が少ないのは事実だろうが、たとえ地球上で私一人がそうであったとしても、先に述べたように、結局は自分がそのような人間かどうかということなのだ。その先に死が訪れようと、遅かれ早かれ生物は死ぬのであるから、胸を張って全力で「感じて、思って、考えて」生きて死のうぞ。

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