時間は同じ

2010.2.24日々のこと

 昨日から暖かくなり、今冬の起床時間から予想はしていたが案の定、7時台には就業する事が出来るようになった。まだ明るくなりきれていない青白さが残る時刻に朝の身支度を済ませ、さてさてとパソコンデスクやアトリエに入る。その流れと伴って、来週までに決めなければいけないものがいくつかある。ということは、今週中までには大枠は決めている必要があり、焦らなければいけない状況なのだが、そんな時ほど、他人事のように俯瞰して落ち着いている自分を見つける。

 そういう時の流れにいる中、「世界時間」について考える事が度々ある。「世界時間」とは何ぞやと思うだろうが、時差とか、過去とか時空を超えるとかではなく、違う場所、違う空間で、違う事をしながら同じ時間を通過している、そのことについて考える事があるということだ。
 民族が異なり、文化が異なり、職業が異なる、もっと言えば種族が異なるという全てが異なる中で、時間だけは同じものを共有している。つまり、人類だけでも少なくとも約68億人ぐらいは遺伝子が全く同じことは無いかもしれないし、クローンや一卵性双生児の2人の別の戸籍の人間だろうとも、時間だけは同じなのだ。

 そう思うと、目の前にいる人も嫌いな人も、異なる宗教、異なる政治的背景の人達にも自分と同じものを所有しているのである。時間というものが外にあるのではなく、自分の内なる感覚としてあるのならば、その嫌いな人や憎んでいる人、一生分かり合えないと思っている人にも自分と同じ感覚があるということだ。

 そのように考えると、全く分かり合えない人間なんていないと考えられるし、相手に自分と全く同じものがあるのならば、それはどこまで行っても自分なのだから、誰かや何かを憎んだり、愛したりするってことは自分自身を憎んだり、愛したりするってことと同じだし、理解出来ない相手に対して恐れや不安を抱いて、別格や天才、気違い、異人などとレッテル貼りをする必要もないのだ。そのような得体の知れない才能を持っている人達も自分と同じなのだから、無闇矢鱈と憧れたり、蔑んだり、崇拝したり、攻撃したり、統治したり、戦争したりする必要もないのだ。

 そんなことを日常のちょっとしたことから考えている。

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