善き1枚

2009.10.29日々のこと

 朝から創作をしていて、昨日作られた1枚にランドスケープ(風景)があるのだけれども、スライドショーにして流れを確認していると、「その景色の中で最期の時を向かえられたらいいのにな」と思った。

 写真の中に入るというか、全方位型の映像というか、でもそれは別の作品であったり、観る者の能力によって頭の中で創ることができる景色だ。自分の魂が汚れないでいるためにも自分のために生きていると言えるだろう。しかし、自分一人で生きていたり、自分を取り巻く環境さえもそうであるのならば、僕は作品を創る必要性がない。やはり、作品を創るということには他者への愛がなければできないことだ。「繋がろうとする必要はない、繋がっているのだから」、「恐れる必要はない、同じなのだから」、全てのものを愛して観察すれば創造性は膨らんでいく。それを具現化していくのは他者への愛でしかない。裏を返せば、憎しみでもそれらができるということだ。しかし思うのだ、「誰も憎む必要がない」と。

コメントを書く