あの頃の目。

2019.1.13日々のこと

絶句されるほど働いている。
年末年始は、クライアントとコミュニケーションをとらないで生まれる「思考の余白」を使って、仕事をしていた。
365日、まったくの休みなどない。
そうでもしないと、クライアントが考えてくれたことに、ノーを言えるわけがないと思っている。
「つまらなそう」「おもろい」と言うには、それだけの背景が必要なのだ。
だれだけ想像しても、とても良さそうなものを作っても、これはイケるというものを作っても、それでも、事業には運が作用する。
毎月、電車を乗り継いで神社にお参りに行っては、自分のことや家族のこと以外にも、クライアントの事業の成功と関係者たちの幸せを願っている。
どれだけ仕事をしても、「まだやれることはあるんじゃないか」と不安になる。
どれだけ十全に準備をしても、天候で台無しになることもあれば、悪天候が味方につくこともある。
人も、会社も、最後には運としか言えない、どうしようもないことがある。
最後には神頼みしかない、というときがあるのだ。
そんなことする人間じゃなかっただろう?と、自分でも思う。
もっと人類至上主義だっただろう、と自分でも思う。
打合せで、自分でもジジくさいことを言うと呆れることも増えてきた。
どうしようもないことを経験し続けてきたし、そうして視えることも増えた。
弱っている人でも享受できる商品、サービスになっているかと考えてしまう。
弱い者の味方になるつもりはない。
似合わない。
いい人である必要はないが、こういうのが今の自分のクリエイティビティになっているのは確かだ。
しかしだ、写真家でしかなかった頃の、褒められない人間だった頃の、ああでしか作れないものもあった。
妻はその頃の私を知らない。
それよりももっと前、カメラと出会った時の好奇心と冒険心でしかできないものもあった。
今もあの時の目が、体のどこかにあるのを感じる。
しかし、暗がりの中、見つからないのだ。
いま、作品を作っても、あの頃の目は起きていない。
これからの人生に、必要な目だということは感じている。

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