アンビヴァレント

2008.12.15日々のこと

今朝起きると、眼前に巨大な女性の顔があった。彼女は目を見開き、本来ならば恐れさえも感じていいはずの場面だったのだけれども、背景から差し込んでくる日の光と、青と赤みのかかった視界に『100億年の太陽』をみていた。

この光の感覚というのは、誰しも、そしてどの生物さえも抱けるものであるはずで、この太陽の恩恵を受けなければ我々は何もみることはできない。仮に不幸とされていがちな「人間以外の生物がほとんど死滅した世界」で表れされる地下生活の人工光のなかでしか育ったことがなければ、光の感じ方は我々と異なるものになっているかもしれない。

一般に「写真」と呼ばれている媒体は、その光の感覚を研ぎすませ、且つ、直接に用いると思われている。それをそのまま受け入れることもできるし、疑うことも許されているが、だからこそ僕は、「Photograph」に感謝を抱いている。その反面、憎しみも認めているのも事実である。

その2つを認めることは当たり前なのかもしれない。

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