『最後の親鸞』を読んで。

2018.5.3おすすめ, ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

非僧非俗を通した親鸞。
中央に入らずに北陸から関東へ、妻子をもって畑を耕し、農民の手伝いをして生計を立てていた僧。
念仏も唱えない。
 
私たちで言えば非専非俗だろうか。
非技非拙とも言える。
クリエイティブディレクターが畑を耕す姿は滑稽に映っているだろう。
しかし、本当に真のものを見抜き、作ろうとするのならば、関係ないと思えることにも強くなるものだ(と思っている)。
ただ確実に言えるのは、専門家という名の城に籠っていると、技も思考も研ぎ澄まされるのではなく、狭く浅くなっていく。
料理人が靴を磨いたり、靴磨きの職人が写真を撮ったり、歌手がモーターレースに出場するのは、どんな机上の空論よりも実態のある話ができる。
 
これらは、効率的に正解を求め、怒るのを禁止し、泣くのを抑制し、にこにこすることを推奨し、何事も数字で正解を求める現代の風潮とは違うかもしれない。
とても遠回りのように見える道程だ。
そして、人間は喜怒哀楽があるから人間だ。
怒ってもいいし、泣いてもいい。
面白かったら、笑ってもいい。
遠回りも喜怒哀楽も、人間の仕事に必要なことだ。
 
最後の親鸞

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