ゼロ。
2015.8.9日々のこと新しく出来た画材屋さんに行った帰り、ふと駅看板に目をやると、カメラメーカーとして認知されている会社の看板が目の前に現れた。それはグループ会社であり、会社名を読んでいるとIT分野や医療分野であることが想像できた。
カメラという、テクノロジーの恩恵にあやかる分野であるため、会社として社会の生存競争からは逃れることはできない。カメラから得たノウハウを横展開してグループ会社を立ち上げることはできただろう。
話を単純化し過ぎてしまったが、僕が言いたいのは「創業者はこれを望んでいたのか?」ということだ。
僕でいうと絵を描くこと、物を作ることを与えられ、それが好きになり、それを続けてきた。すると大なり小なりの評価を得て、競争が始まり、賞賛も嫉妬もあり、生き残るための作法もそれらしい振る舞いも覚えさせられる。そして、この繰り返しとなった。
何かが違う。
好きだったことは、いつの間にか心に闇を生む行為となり、続ければ続けるほど闇が大きくなり、暗室作業中に倒れた。だ〜れもいない暗室電球の中で目がさめると、何ともアホらしい気分になり、好きだったことを思い出すようにしていった。
そんなことがあってから片手では数えられなくなった年数が経ち、こんなことを何度か繰り返しては藝術の神サマに導かれるようにしてゼロに戻ってくることを繰り返している。吸収していることもあるから、完全なゼロじゃないが、それが出来たのも一人でいたからだ。
我儘な話だろうが、他人の人生まで世話ができるほど面倒見はよくない。誰にでも自我があるし、創作で手一杯だ。創作をして、発表のことをいちから考えるなんて俺にはできない。だが、目の前にある駅看板にならぶ会社名にいる人達はそうじゃないのだろう。「彼らはゼロに戻ることは、不可能と思うのだろうか」そんなことを駅看板を見ながら疑問に思った。