何度目か。
2015.3.14日々のこと生きることがつまらないことのように感じており、それと引き換えに何に対してもワクワクしなくなっている。何事も見えてしまうのだ。いや、見えなくとも何がどうなろうとも、大したことじゃないことがわかりすぎてしまったのだ。社会はつまらない方向にしか進みようがなくなり、藝術は知識のものになってしまった。自分さえも燃え尽きてしまったかのような、空虚になってしまっている。今、書いていて気づいたのだが、空虚ということは、「空」の状態ということだろうか。つまり、何事でも吸収できる状態なのかもしれない。
これを書いてから数日が経った今日、「アップルシードα」という映画を観た。そこでは「希望」がキーワードとなり、荒廃した世界を舞台に、希望のための覚悟が問われてくる。そして一人の幼い少女から「希望のための覚悟」という台詞を聞いた時、自分が今まで描き、そのために動いていた「希望のある社会の姿」がおぼろげにしか見えなくなっていることに気がついたのだった。
何のために動いているのか、わからなくなっていたのだ。忙しさにかまけて、いつの間にか諦めることに慣れてしまっていたのだ。まだ俺は動けるし、もう一度、その世界を見ることは出来る。藝術の神様はまだ、俺と繋がっている。クリエイティブは、必ず、世界を変えることが出来る。