風呂で考えた。

2015.1.18日々のこと

身体の芯まで冷えているときに、「風呂に入ろう」と思えるのも、贅沢な考えの1つなのだろう。昨日、資料を探しに外に出ていると、手足が冷えていき、身体の奥底まで冷えていっているのがわかった。腹の底から身体を温めようと思い、麻辣湯という、漢方や香辛料がたっぷり入ったなんとも健康的な麺料理を食べたのだが、それでも、風呂に入る方が、何倍も身体が温まる。
 
帰宅後、ビールを呑みながら風呂を沸かし、その間にラフを描いている。ラジオからは浅田次郎さんの短編小説が流れている。家の風呂はバランス釜という、設定温度などなく自分で止めなければ煮立ってしまう旧式のものである。しかし、それさえ気をつければ、銃弾が飛んでくることも、飲み水を心配することもないのである。
 
風呂に浸かると溜め息が漏れる。頭の先までお湯の中に入ると、この世から離れることが出来る。お湯の中で目を開けると、視界がぼやけ、今まで自分が見ていたものが嘘のように思えてくる。その内に、目から侵入した(?)お湯が口の中に潜り込み、溺れると察知して頭をお湯の外に出す。
 
人間の頭の中での出来事、目の前で起きている事実、胡蝶の夢、その全てがどれも真実であり、風呂の中で銃弾が飛んでくることも0%ではなく、ガス機器が爆発しないこともない。確かなことなどなく、全てが不確かなことの中で我々は生きている。そう思えば、やりたいことをやった方が良いに決まっている。旅をしようと思った。

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