ハッピーエンド

2014.3.14日々のこと

フィクションはハッピーエンドで終らなければならない、と思っている。最近、「報われる」ということについて考えるようになったのだが、死んだ人達のことを考えると、「幸せだったのだろうか」と疑問を抱くことと似ている。若くして亡くなった友人達、寿命や病気、自殺で亡くなった親族達、数えだしたらきりがないがいつも思うのは「幸せだったのか」ということだ。
 
それとは、リンクせずに指針となっていることに「胡蝶の夢」がある。
 
最近、「報われる」ということについて考えるようになり、その言葉を使う頻度が上がってきたせいか、冒頭の「フィクションはハッピーエンドで終らなければならない」という持論がはっきりしたのだった。
 
現実だと思っているものは、蝶が見ている夢かもしれない。そうであれば、この現実はフィクションかもしれず、フィクションならばハッピーエンドで終らなければならない。つまり、亡くなった人達はフィクションの幕を閉じたのだ。それは、ハッピーエンドだったのか——死ぬという、多くの人が最大の苦痛として考えていることを経験しているにも関わらず、その人達は報われたのか——それが、長年抱いていた疑問だったことに気が付いた。
 
結局、死に顔を見て、判断するしかないんだが、いつも会話をすることになる。

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