可能性と優しさ

2010.5.30日々のこと

 久しぶりに朝霞に行ったら駅構内の改装工事が終っており、その変貌ぶりに驚いた。自分の地元が変わっていくことに悲観的になる姿は、小説や人の話からもよく聞かれるが、私はあまりそう思わないのだ。そういったことに慣れすぎているのかもしれないし、「この世の全てのものはなくなっていくもの」と分かっているからかもしれないが、とにかく、あまり郷愁というのを抱かない。

 しかし、電車を降りた時にいつも感じていた「ヒリヒリするような感覚」はどこか都会風の構内と混ざり、湿った刃物のような雰囲気がしていた。本屋などもそれほど広くはない店内にけっこうな種類の雑誌や本があり、子ども用、ギフト用(?)、雑貨なども揃えている当りは感嘆する反面、郊外の良さがなくなっているような気がした。そして、「この土地で不良どもやどっちよりの人間かわからない人や勉強だけが取り柄の人など、特徴的な人達は生きていけるのだろうか」と少し心配にもなったのだった。あの土地の良い所は、多種多様な人間が存在し、危険もあり、少し電車に乗れば都会やかなりの田舎に行くことも出来る、そんな環境ではなかったのだろうか。その中で遊び、もまれることによって、様々な価値観や人間がいることを、幼い時に感じ取ることが出来る街だったと思う。これは郷愁ではなく、可能性が潰れる街に近づいていっているのでは?という懐疑的な考えである。都会で育てば「田舎理想主義」にかられるようになるし、田舎で育てばその逆が生じる。それがなく、自分のやりたいことを考えられる位置にある街だったのだ。

 けれども、そんなことを思いながらも、ファミレスに入る時に店先で子どもをあやしている女性を見かけたり、駅で市民会館への道を親子連れに焦りながら尋ねられたりとすると「子どもが出来たらこの街に住もうかなぁ」なんて思ったりもするのだった。

 その後、友達に教えてもらい、池田進吾さんの個展を観に六本木へ。紙に描かれた方が優しい匂いがした。

 その後、いしいしんじさんの『麦ふみクーツェ』を読み終えた。『プラネタリウムのふたご』、『ぶらんこ乗り』、『トリツカレ男』、『ポーの話』を読んでいるが、彼の書く話は優しい匂いで包まれている。

http://www.maroon.dti.ne.jp/eguchimasaru/html/

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